
今年5月、カンヌ映画祭と同時期にフランスで劇場公開された日本映画
『SENSES』。
濱口竜介監督の、2015年の作品。
原題は『ハッピーアワー』です。
この映画が公開されていた5月、濱口監督は、ちょうどカンヌ映画祭コンペ部門に新作『寝ても覚めても』を発表していました。
その監督の、3年前の作品がなぜか今頃、フランス全土で劇場公開。
不思議でした。
なんでも、『SENSES』はスイスのロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞しているそうです。
主演女優は4名、その4名ともがプロの女優ではなく、つまりシロウト? アマチュア? だという。
濱口竜介監督がアーティストインレジデンスとして神戸市に招聘された際のワークショップをきっかけに製作が始まった作品なのだそうです。
そしてこの映画、上映時間が5時間を超えるのです。
だから、
フランスでの劇場公開は5時間ぶっ通しではなく、3回に分けて行われました。
『SENSES』つまり、五感、ということだと思うのですが、5時間の内容が5つに分けられ、「1と2」、「3と4」、そして「5」、と、3回上映。
要するに、1つの映画を見るために、観客は3回お金を払うわけです。
通常の3倍の料金を払ってまで、この映画を見る、という。
そんな異例の作品が普通に、フランスの映画館で全国上映され、
しかも、意外にもロングランになったのです。
全く、不思議な作品でした。
「1と2」、「3と4」、そして「5」、の3回に分割するという苦肉の策(?)は、かえって、いい演出になっていたと感じます。
「1と2」、を人に誘われて見た後、すっかりストーリーの中に引き込まれて、「3と4」、そして「5」を見にいかないわけにはいきませんでした。
作品があまりにも大切になってしまい、残りの2回は一人で見に行ったくらいです。
そして、「6」はない、のです・・・
映画館にいた人たちが、みんな私と同じ感覚だったと思います。通常の4倍払ってもいいから、続きが見たい。そんな感じでした。
この映画を見た後、この映画のことをいろんな人に話さずにはいられませんでした。
日本の友達にも、フランス人にも。
5時間の長い作品、
しかも、主人公の4人の女性(全員が30代後半、つまりみんなそれなりにまとまった人生を生きている)一人一人にドラマがあり、
あらすじを話すにもどう切り取ることができるのか、
なかなか難しいのですが、
それでも話さないわけにはいかなかった。
そして、できるだけ大勢の友達に、
この作品を見てもらいたいと思いました。
日本社会が抱える問題、
日本人男性の問題、
日本人女性の問題、
そして日本も男も女も関係なく普遍的な、夫婦間の問題。
『SENSES』のタイトルが示すように、主人公の一人ひとりが自分の感覚の心の声に耳を貸し始める(それまでは自分の感覚なんて閉じ込めながら生きている、ということです)、
そうすると、どういうことになるのか。
そして『ハッピーアワー』というように、自分自身にとっての、本当に幸せな時間を探し始めると、どういうことになるのか。
幸せだと思い込んでいた関係が(夫婦関係であれ、友達関係であれ)、実は一人一人のたゆまぬ微調整のおかげで保っていたにすぎない、とても危ういバランスの賜物だったことに気づくかも知れません。
でも、自分の心の声を尊重したその先にはもっと確固とした、ビクともしない本来あるべき調和の形が現れるのか?
もしかすると、みんなの微調整で保っていたバランスをとても愛おしく思い出すことになるかもしれません。
先ほども申しましたが、「6」はないのです。私たち一人一人が考えるしかありません。
今、私の身の回りを見渡すと・・・
日本の友人や知人たちの多くが何かの犠牲になっているように見えます。
うつ病になったり、発達障害の子どもと認知症の親を同時に抱えていたり、ずっと薬を飲んでいたり。
その、「何か」は何なのか?
同時に、日本はとても暮らしやすい、と日本人みんなが思っているようです。犯罪が少なくて、宅配便や電車が時間通りに必ずやってきて、みんな約束を守るし、道路は清潔だし。日本の技術は海外よりはるかに優れている。日本はすごい、日本人は心優しく勤勉な素晴らしい国民だ。
でもどうして、そんないい国に暮らしながら自殺者がこんなに多く(世界第2位)SNSのハラスメントはエスカレートする一方で、こんなに大勢の人たちが精神的に追い込まれているのでしょう。
フランスにはいろんな問題があります。でもその問題を、国民は問題として承知しています。問題として話すからです。タブーではありません。
我が子らが中学生の時、「国民がいつも文句を言えるのは、国家が健全な証拠だって学校の先生が言っていたよ」と、教えてくれたくらいです。
『ハッピーアワー』の最後の方で女性たちと男性たちへの見方が少しずつ変わりました。男性は女性のことを何も考えていないのではなく、女性は男性に何も説明しないのです。というか、男性も何も言わなかった。
それでもわかっているようなつもりで、わかっているでしょうという前提の元に進んで行くのが日本社会であり、いちいち説明するよりもかえってスムーズなのかもしれません。説明の努力(ものすごい体力・気力がいります)もないし、時間のロスもない。
説明の努力をするよりも、個人で微調整行う(それを強いる)ことを選んだ社会、ということなのでしょうか、日本社会は。
その微調整を永遠に行い続けることに人間は耐えられるものでしょうか。
一つだけ、フランスに暮らしていて思うことは、
「寛容な社会は暮らしやすい」
ということです。
人が人に対して寛容だから人は自分に対して寛容。自分も自分に寛容になれます。
待ち合わせの時間に5分遅れたって困る人はいません。(それより、目の不自由な人の手をとって道を渡る時間と心の余裕がある方がいいです)
有名人が不倫をしたって、それはその人の問題です。(個人的に何かあるんでしょうかね? 日本の週刊誌のあの執拗な追及は)
そして、自分と反対の意見を言う人の話を聞くのは寛容の基本です。
そうやって意見交換する。
体力・気力がいって面倒ですが、やった方がいいと思います。時間がかかって、仕事が中断したとしても、たとえ親子ゲンカ・夫婦喧嘩になったとしても。それが寛容の社会への第一歩だとしたら、なおさら。
『ハッピーアワー』の女優さんたち、映画が始まった最初は
「ああ、やっぱり一般の人はプロの女優に劣るな」
なんて感じましたが、最後には完全に心を奪われていました。その頬に出来たちょっとした凹みですら愛おしかったです。生きた女性の説得力がありました。
浜口監督の、パリでの舞台トークです ↓
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